鬱デス KR
「そういえば最近、アルデスくんを訓練所で見ないのですが……」
「……いや、あいつのことは今は忘れろ。特訓に集中するんだ」
「そんな! それでは彼があまりにも可哀想でしょう!?」
黒髪の少女シオンが悲痛そうに訴えると、会話相手の獣人ダンツが少しだけ目を伏せた。
毎日、血眼になって素振りをする金髪の青年アルデスがその頑健な努力家精神を何処へ置いてきたのやら……ここ一週間も訓練所に顔を出していない。
心配する声は訓練所全体に波及していて、彼の面貌が見れないと来た心地がないと嘆息をつく者まで。
殊更にアルデスの内情に土足で踏み込むのも気が引けると、誰もが配慮を見せていたものだったのだが。
「だってそうでしょう? 一週間って長期的な遠征任務とかなら兎も角、任務を管轄する方々に聞いても彼に出動要請は掛かってないっていうし……何かあったかって余計に心配になるでしょう」
「だけどなぁ。躍起になって詮索することでもないだろ、それ。俺自身、あいつのプライベートまでは踏み込みたくないってか興味ないし」
「それはそうですけど……でもとにかく何かあったのかもって不安なんです」
「なに? なんであいつのことそんな心配してんの」
「当然でしょう! 一時的とはいえ同じ死地を共に乗り越えた戦友なんですから。仲間を労わるのも英雄としての責務です」
下心ない純真無垢な返答に、ダンツも呆れた表情を見せた。
シオンは汗を拭いながらもうーんと小首を傾げる。
「フィリアスさんに聞いてみましょう! 隊長なら何か知ってるかも!」
妙案だと言わんばかりに目を輝かせるシオンを横目に、ダンツは脱力するようにため息を吐く。
「あのなぁ。幾ら多くの団員を見てきたからと言って何でもかんでも精通してる訳でもないでしょって。隊長が知ってるなんて根拠どこにも……」
「それなら知らないなんて根拠だってどこにもないでしょう? 百人の敵に単身特攻する時に無理だ! って嘆くのと同じですよ」
「いや、形容の仕方が普通に怖気立つんだけど」
憂いに満ちた瞳でダンツは彼女を見つめる。
しかし、あの決然とした瞳に翻意を促すのも骨が折れそうだとこれ以上は無視を決め込もうとする予定であったが。
「とにもかくにも、行ってみないことには分かりませんよ。行ってみましょ!」
「お、おい! 俺を巻き込むなっ!」
涼しげな顔で有無を言わせずダンツを連行していく強引なシオンであった。
────────
「アルデスくん、ですか?」
「はい。最近訓練所に来てないみたいでして」
「ふん、あの軟弱者のことだ。どうせ己の非力さを悟り精々枕を濡らしているのだろう」
「っていうかなんでテルモまでいるんだよ……」
風雅な白髪を後頭部で束ねた女性、フィリアスと呼ばれた人物は乱れのない声色でそう言った。
いつ見てもその端麗さは数多の戦地を駆け抜けた実力者とは思えない格調高さに包まれている。
一方、テルモと呼ばれた少女は一風変わって勝気で凛々しい風貌だ。
どんな気迫を以てしても負けず劣らず、といった強靭な意志と精神が瞳孔から滲み出ていた。
「そうですね……ごめんなさい、私もあまり彼の事情には詳しくないんですよ」
「そうですか……」
ガックリと沈むシオンの隣で、ほらな? とあからさまに視線を送るダンツ。
しかしフィリアスも手を口にあてながら、アルデスへの懸念を表明する。
「一週間、彼が訓練所に出てきていないのは把握していますよ。実生活までは彼のプライバシーですが……食事に関しても碌にしていないらしいので」
「なんなんすかねえ」
気の抜けた答えと共に場が沈黙で包まれる。
違和感を覚えるのは満場一致であるようだ。
アルデスの満ち溢れた生気が途絶える前までは、やはりいつも通りで溌剌な華やかさを放っていた。
急にその線がプツリと切れてしまったのは、彼個人に何かとんでもない災いが降りかかったのではないかと。
「やはり直接行った方が早いかもしれませんね」
「ふん。興味がない。吾は帰るぞ」
素っ気ない態度で鼻を鳴らし、テルモは退室していく。アレが自然体なので誰も止めることもなく、淡白な様子の彼女を全員目で送るだけであった。
「んじゃ、俺もこれで」
「行かせませんよ」
「は、はぁ!? なんでだよ、もう十分だろ!?」
さりげなく便乗しようとしたが、理不尽にも制止の声が掛かり思わずダンツも吠える。
軽く腕を組むシオンはビシッと、ダンツを指差した。
「ダンツには最後まで付き合う義務があります」
「ぎ、義務って……」
「先日の任務でのVICEとの交戦時、魔族と戦う私たちを庇って敵の攻撃を捌いてくれたのは誰でしょうか?」
「うっ」
「補給物資が途絶えた時、死に物狂いで敵を突破して味方に呼びかけたのは誰のおかげでしょうか?」
「……………………………分かったよ」
「行くメンバーは決まったみたいですね」
フィリアスが微笑みかけると、ダンツは不本意そうに顔を横に向ける。
難色を示しながらも、許諾するのはそれなりの器の広さがあるからだろう。
シオンも少しだけ申し訳なさそうに苦笑した。
────────
「……ここですか」
「特にヤバいオーラとかはなさそうっすね」
居住区へと移動した三人はアルデスの自室の前に立っていた。
部屋の中からは物音一つ聞こえず、何よりドアの隙間から一切光が漏れてない様子から、非常に不気味な空間を形成していることには間違いなかった。
意識していなかったが、彼も多感な時期である。
先頭はダンツで中を慎重に伺いながら、後に二人も潜入するという方向で決まった。
「……行きますよ」
ダンツの軽い調子とは一変して、背後の二人は少しだけ緊張した面持ちだ。
あまり男子の部屋とは縁が無さそうな顔触れなのでダンツが心配そうに一瞥した後に入室しようとする。
「や、やっぱり事前に許可を取るべき」
「ここまできたんだからそういうのは無しだぞ」
「はぅ……」
仄かにシオンは原因不明な恥ずかしさに頬を染めるが、ダンツは意に介さずドアを開ける。
「施錠はしてないみたいですね」
「お邪魔しまーす……」
部屋の中は真っ暗で物静かだった。
見える範囲で視認できるのは物は散乱しておらず、逆に清潔感に溢れた空間であることだけだ。
閉鎖的な場所を思わせながらも、息をする心地には窮屈しない。
ダンツは壁に手を這わせながら、電気のスイッチを探す。
「電気、つけますよ」
そういうとパッと部屋全体に明かりが灯る。
床には何もなくベッドの方を見やると、そこには丁度人が入れそうな山状の膨らみがあった。
三人が目を合わせる。ダンツが勢いよく毛布を剥がそうとするものの、一向に剥がれる気配がない。
「あ、アルデスくん? 私です。フィリアスです。大丈夫ですか?」
「……………」
応答がない。ただ刺激する度に毛布の強度が逆に高まっていく気がするだけで、良い効果は生むことはなさそうである。
フィリアスに続いて、二人もなるべく刺激しないよう柔和な声色で話しかける。
「おーい。おい、アルデス、返事しろ」
「アルデスくん、ほんとに大丈夫ですか?」
「………」
返答は、ない。
この変容ぶりには一同も少しだけ当惑していた。
あんなに朗らかで、活発で、温和な青年がここまで沈鬱に染まるなど。
長く付き合ってきた身として、別次元の映像を見せられているかのように現実味を帯びていなかった。
「一回、三人で剥がしますか」
「そうしましょう」
三人は頷くと毛布を握る。
「「「せーの!」」」
勢いよく剥がされた毛布は宙を舞った。
かなり力を入れる必要があったので、思わず尻餅をダンツとシオンは着いてしまう。
フィリアスは持ち前の体幹で耐えたが、一同はダンゴムシのように丸まるアルデスを見て絶句する。
アルデスも観念したのか、それからはベッドに座らせられる。
死んだ魚のような光を失った瞳は、まるで語る術を持たずただただ虚空を静かに眺めるだけであった。