回帰現象

なんか色々書いてます。

春(死)の芽吹き

 

 

 

 僕には桜の樹木が見える。それは色んな人の頭の上にあるのだけれど、まだ蕾の人やそもそも芽吹いてもいないものまである。環境や四季などには全く作用されず、一切干渉ができなくて、可視化できているのは自分だけ。

 不思議な気分だった。今だって大きな街の朝の大通りを歩いているけれど、一人一人で模様に差異があるのでやっぱり不慣れな景色だ。

 僕にはこの桜が"何を示しているのか"が分かる。だから、脳がこれを理解してしまった時、"桜"という形で成立した表現的な優しさに僕は複雑な心境でいた。

 これを綺麗だなんて、一口で賞賛できるわけがない。

 人々が忙しなく足取りを交差させる中、僕は偶々鏡張りの窓ガラスを見つめ驚愕に目を見開いた。

「……あ」

 前述した通り、僕には桜の樹木が見える。そして、桜がどれだけ成長したのかも分かる。

 僕の左側を歩いている、女子高生。その人の頭の桜は満開に咲き誇っていた。

 華のある美人とはこのことだろう。何も知らなければ、アレを美しいと感じたのだろうか。

 今は冬。こういうのは狂い咲きとも言うんだろうが、もっと多角的な視点を持っていれば、こんなものを可視化させる脳の方が狂っている。僕は背中に冷や汗をかいて、乱れた呼吸を繰り返しながら窓ガラスにうずくまった。

 失った平衡感覚が徐々に戻りつつあるのを感じながら、僕はこの桜の正体を反芻する。

 "桜の成長で、その人間の死期が分かる"。

「ぐっ……」

 芽吹かない、蕾である時点ではまだ死は訪れないのだが桜が開花していけばそれは緩慢と死の足音が近づいている証拠だ。そして、満開となればもうすぐ。

 平静な思考に僕は努める。が、上手くはいかず余計に思考の拍車がかかる。

 あの人はどういう死に方をするのだろう、最後に何を喋り、誰と出会い、何を食べたのだろう。

 人には一つ一つの人生がある。だから、そう思うだけで死神が首に鎌を構えている光景が他人事ではないと分かる。

 僕は一気に今までの混乱を飲み込み、その人に駆け出した。

「すみませんっ!!」

 女子高生は僕に振り返る。見るからに、僕より年上だ。

「なに?」

 女子高生は警戒の色を強めながら、眉を顰めてこちらを見つめる。

「えっと、その……」

 なにを言えばいいのか浮かばない。もうすぐ貴方は死にますなんて言えるわけがない。だからこそ僕は焦燥する。背後の死に無頓着な彼女が、ものすごく不愉快だった。しかし、ここで怒鳴ったり冷静さを失っては伝えるものも伝えられない。

 目を泳がせて、口をパクパクとさせる僕。女子高生の頭上を見つめては、言葉に行き詰まり逡巡する。

 女子高生はいつまでも何も言わない僕に鼻白む。

「時間ないからもういい?」

「あ、そ、その……ごめんなさい」

 素っ気なくそう言って女子高生は去っていく。

 僕はなにがしたかったんだ。事実は事実だが、僕だけが知っている情報はあまりにも現実味がなさすぎる。それを伝えて、徳でも高めたかったのか? 変に高尚なものは考えず衝動で動いてしまったが、振り返ってみれば今まで一度だってそういう人を救えたことはない。

 強く唇を結んで、僕もその場を後にする。

 ……そういえば小説でこんな言葉を知った。"異常者にとっては、周囲の全てが異常に見えるもの"なのだと。

 こんな力を宿す僕にとって、僕はその言葉が適用される枠組みなのだろう。

 結局、これは個人のものだ。

 決して共有できない冷たい孤独に凍えた力なんだろう。

 死とは人間にとって唯一の平等である。そして誰にも理解されない悲劇と結末の訪れを知れる自分は平等を知れる、唯一の不平等なんだろう。

 


 ……後から聞こえたのは鼓膜を裂くようなクラクションと、地響きのような強烈さを伴った衝突音だった。

 


 あぁ、それとこんな言葉もあったっけ。

 背後で響き渡る悲鳴や怒号に振り返らず進み、僕は誰にも聞こえない声で呟く。

「"桜の木の下には死体が埋まっている"」

 


 女子高生の朱色に染まった桜は、死の淵に落ちても美しく咲き続けていた。