回帰現象

なんか色々書いてます。

無色傷 1

無色の記憶/

 


 人を殺した。

 


 コンクリートに広がる紅は美しかった。煙草の灰ですら染めるその純然さは、吸血鬼が血に耽美的な姿勢を持つ理由が分かる。

 


 けれど不思議だ。

 あれだけ色褪せた世界が一瞬で別の色に塗り替わるなんて。

 思ったよりもあっさりで、一寸の狂いもなく寸断された。

 紅色が全部染め上げてくれた。

 血の異臭が冷静と倒錯した思考に拍車をかける。

 


 ……あぁ、そうか。

 無垢であるから染まりやすい。

 どれもこれも知らないから染まりやすい。

 なにも得られないから染まりやすい。

 


 あぁ……世界って思ったよりも"空っぽ"なんだ。

 


 内心で呟いた嘲りが、頬に伝染した。

 歪んだ形となって ───── 

 

 

 

/無色傷 

 


 生まれた時から色は決まっている。

 世界の色は心を持った者が染めた色。だから、ありとあらゆる形で色という名の禍根を残せる。紡がせることができる。決まった心の色があるから、"感じ方はそれぞれ"なんて言葉で事柄を片付けることができる。

 うんざりだと自分は思う。けれど、なにも覆す手段がないわけじゃない。

 色は塗り替えることができる。けれど、個々が持つペンキなんてものは一つである。肯定も否定も個人が"定めたもの"だから色は結局同一なのだ。

 理不尽だろう。選択肢が一つしかない染まり方なんて。

 だが、一見そう見えるそれは心を再び生んでいる。素晴らしいことだ。人の在り様を変えることを人々は更生だとか失墜だとか正邪を基準に言葉を選ぶけれど、きっと周囲の常識はそういった観測にあるんだろう。

 


 けれど中には"なにものにも染まらない色"はある。

 嘘と色を重ねれば重ねるほど真っ黒となるように、なにも受け入れない拒絶が満ちた色である。なにものにも染まらないから、染めようとするものは許さない。元々、染めようとする人の悪意が元凶だし、殺されそうになったから反撃したのと同じ正当防衛なのだ。

 だからこそ盲目的になる。自らに意志はなくとも、同じ色に染められて食われてしまえば、"分からなくなる"のだ。

 過去の色が、生まれ持った色が、経験として積み重ねた色が。

 


 観測者がいるからこそ色も物事も消失しないのに、それは観測者すら失わせる透明な悪意である。

 


「……と、言うのが自分の考えなんですけど」

「興味深いけど、極論がすぎるね。なにものにも染まらない色ってなんだい。どんな硬派だ、って感じ」

 レトロな雰囲気の照明が男女二人の影を灯す。住宅地にひっそりと佇む現代的な外観を持つカフェ。けれども、外と中身とではまるで様式も空気感も違う所謂、ギャップを楽しむ設計がなされた物珍しいところだ。

 好事家な八柳 菫子と、思想を披露する常狭 士輝にとっては秘密基地のようなものなので特に感じ入るものもない。向かい合うように二人は座り、コーヒーを飲んでいる。

「ところで、だ」

「話を逸らさないで下さい」

「……士輝くんは真面目過ぎるからな。少しくらいはアンティークな話題での路線変更も大事だ」

「まぁ、そうですけど」

 士輝は不服ながらも、それ以上話を進展させず傾聴する。

「ここ、どうだい?」

「ここ?」

「このカフェだよ。僕たちぶっちゃけ欠落してるだろ?そういうのがさ」

 菫子はタイツに包まれた足を組む。サラサラな黒の横髪を少しいじりながら。

「まぁ通ってる割には何の感慨もないとは思いますけど」

「焦点が違う。僕らには人間的な"欲求"がないんだよ。雰囲気が好きとか構造に魅力を感じるとか調度品のセンスがいいとか……だからもっと色んなものを知りたい、体験したい、そういうのだよ」

「大体、そういうの気分っていうと思いますよ」

「惜しいね。人間的な欲求っていうのは派生から生まれるんだ。気に入った本があったら、その作者の本や同じジャンルの本が連鎖的に欲しくなるように基本、欲求は際限が無いものだ。けれど、僕たちはここに固執しすぎている。士輝くんの言う通り、なんの感慨も目的意識もないくせに通い続けている。何かが気に入れば今度は類似点が多いものに手を伸ばすのが道理だ。それに食べ物とか飲み物が特別美味しいとかそういうのでもない。通い続ける理由がないのに、通い続けている。そこが僕のいう欠落だよ」

「……はぁ?」

 要は全くなにも派生したり、発展したりしない現状が人間とかけはなれた常識の形をしている……ということを無意識下の士輝の欠乏感に自覚させようとしているのだろう。

 士輝は"さほどかけ離れているのか?"と、要約した内容に小首を傾げながらも黒々としたアイスコーヒーで喉を潤す。

「ふぅ……ちょっと頭を冷まして冷静になったのでもう一回思想発表してもいいですか?」

「物理的な頭の冷やし方だね。今度はアイスバケツチャレンジでもしてみるかい?」

 両腕で頬杖をつきながらこちらに微笑を向けて喋りかける。

 いい匂いがするが、別に自分はなんの感情も抱かない。

 それよりも、だ。

「菫子先輩、そういうのみるんですか?」

「いいや? 経験はないが知識はあるよ。……あーあ、なんかこれじゃあ僕が空っぽみたいじゃないか。なんてことをしてくれるんだ」

「自滅ですよ、それ」

「話題提供をしたのは士輝くんだ。責任とってよね?」

 唇に親指をあててつぶらな瞳で見つめる。ぶっちゃけ、菫子は士輝の美醜の観念の中で言うと群を抜いて美貌といえる。

 取り分け独断というわけではなく、街を歩けば男の瞳と心を容易に奪う魔性さを目の前で見ていれば自ずと伝わるものだ。性格にそれが伴うかは別として。

「いけると思います?それ」

 無関心を徹底する士輝、それをいつも通りと言わんばかりに菫子はクスッと笑って「いいや」と同意する。

「僕は性格が悪いんでね」

「知ってます」

「人をいじるのが性でね。どうしても、"反応"を見るのが楽しい」

「知ってます」

「なので無反応な君が腹ただしいけれど、同時に愛おしい」

「それは知りませんでした。でも自分は菫子先輩が嫌いです。二回そのせいで臨死体験してるんで」

 とんでもないことをサラッと言いのける士輝。

「それで、瞳がおかしくなったんだろ?僕としては瞳に振り回される君を見ていて十分に楽しいよ」

「自分は菫子先輩に責任を取る形で生涯添い遂げてもらうので。時折変な化け物が寄ってきますし」

「魔は同じ魔を呼び寄せる……ってことで最近あった事件を見ようか。あ、お嫁さんになるのなら大歓迎だよ」

 そういってパン、と手を叩くと近くのバックからDVDとパソコンを取り出した。

「なんですか?それ」

「僕が君のためにとった映像さ。所謂、アダルトビデオ」

「先輩の体に興味はないけど、その腐った頭になら興味あります」

「まぁ今から見る映像は、なにもかもが腐っているけれどね」

「……」

 パソコンを起動し、菫子の軽快な操作ののち士輝に画面が向けられた。映っているのは監視カメラの映像だ。場所は人気のない高架橋の下に取り付けられたものだ。

 士輝が眉を寄せる。時折、砂嵐が映像を乱すが、確かに何かが映っている。気味の悪い動作、千鳥足な歩調、人型ではあるがただの酔っ払いではない。

 何よりも、この人間らしきものには、

「影が、ないですね」

「……正解。それだけでこの世のものではないことははっきりしただろう?」

「でもこれとその事件の関連性は?」

「ふむ。なら結論から言ってしまおう。"ゾンビ"が今、人間たちを襲っている」

 ……何を絵空事を、と言いたげに士輝は頬杖をつく。しかし、この"瞳"がある。故にそれを都市伝説とか加工した映像だと決めつけて片付けることはできない。歯がゆさに視線をそらす。

 むしろ、この"瞳"に引き寄せられたのではないかと、自らの魔性には辟易としてしまう。

「ゾンビって……死霊魔術というかなんというか」

「仮初めの命を吹き込まれた存在。といっても命そのものはなく、内在する魔力が心臓のようなものだけれどね。だから、君の目はその魔力の奔流の死を線で見るのだろうね」

「……殺せるものなんですか?」

「君の瞳は生きる者の脆い場所を線として観れる。生者とも死者とも区別のつかない存在は死を理解できないから殺せないだろう。だが要は操り人形の糸の部分を切ればいい話だ。死者には自我がないからね。糸は魔力のようなものと捉えてくれればいい」

「けれどそれなら操り人形を操る存在がいる……ってことですよね?」

「勿論。今回はその懐柔者の退治だ」

「……」

 士輝は何故か俯いたままだ。珍しい反応に、菫子は意外といった反応を見せる。

「どうしたんだい?やっぱり僕のアダルトビデオの方がラッキーだったかな?」

「……いえ。何故、死者を操れるのかなって」

「そこまで気にやむ必要はないよ。所詮は魔力によって動かされてる抜け殻に過ぎないからね」

「そうですか」

 煮え切らない士輝の反応に菫子はニヤリと笑みを浮かべる。

「いいかい?士輝くん。空には何があると思う?」

「え?そりゃ、雲とか、鳥とか?」

「正解はね、"異界"だよ。神様が住む世界、とも取れる。元々は人がそこに立ち入るのは禁忌なんだ。人間には地上という世界が提供されていて、無闇に別の世界に入ることそれは単なる侵入行為に過ぎないんだ。神様は住む世界を分断することで秩序の維持を計った。だから人は翼を与えられなかったし、浮遊力も与えられなかったんだと僕は思ってる」

「……」

「けれど、この世に"異界"は二つある。もう一つは地上の下、日本でいうところの地獄、神話などでは冥界とか幽界とかそういう風に言われてるもう一つの次元さ。ここはね、空よりも何倍もタチが悪い。死者は土の下に埋葬される。だからこそ、それは地上の常識から外れた、といっても過言ではない。ルールもモラルもない、完全なる治外法権の地帯。そういう穴に"異界"の常識は適用される。だから、本物の死者が仮初めの魂を与えられて息を吹き返したって可能性も残念ながらあるわけだ」

 士輝は両手を握りしめる。感情が欠落したからといって、死者を冒涜する存在や周囲がどうでもいいなどと退屈感があるわけでもない。

 今回が初めてというわけでもないのだが。

 おかしな気分である。

「では、そろそろ行こうか。長居しているとあまりいい目では観られないからね」

「……はい」

 自分たちはカフェを後にする。ただ、外には冬を感じさせる冷気が満ちていて士輝は寒がる菫子に上着を着せてやることしかできなかった。

 折り合いのつけれない感情に、未練がましさを覚えながら。